2009年10月7日水曜日

今日の質問。「恰限」とは?

今日は『二程全書』の十九から。
「禮記儒行・經解、全不是。因舉呂與叔解亦云、儒行夸大之語、非孔子之言。然亦不害義理。先生曰、煞害義理。恰限易、便只潔靜精微了却、詩、便只溫柔敦厚了却、皆不是也。」の恰限をいかに読むかです。わかりません!!
それ以外は以下の通り読みました。
「禮記の儒行・經解は、全く不是なり。因りて呂與叔の解を舉げて亦云う、儒行夸大の語、孔子の言に非ず。然れども亦義理を害せず、と。先生曰く、煞だ義理を害す。恰限易は、便ち只潔靜精微了却し、詩は、便ち只溫柔敦厚了却すとは、皆是ならず、と。」
「恰[あたか]も限って」などと読んでよいのだろうか?

2009年9月26日土曜日

久しぶりの質問

今回も『二程全書18』から

問、老子書若何。曰、老子書、其言自不相入處、如冰炭。其初意欲談道之極玄妙處、後來却入做權詐者上去(如將欲取之必固與之之類。)。然老子之後有申・韓。看申・韓與老子道甚懸絕。然其原乃自老子來。蘇秦・張儀則更是取道遠。初秦・儀學於鬼谷。其術先揣摩其如何、然後捭闔、捭闔旣動、然後用鉤鉗、鉤其端然後鉗制之。其學旣成、辭鬼谷去。鬼谷試之、爲張儀說所動如入菴中說令出之。。然其學甚不近道、人不甚惑之。孟子時已有置而不足論也。

老子・申・韓・蘇秦・張儀に対する伊川の評価。ここの小注の「如入菴中說令出之」をどう読めばよいのかがわかりません。

句全体は以下のとおりに読みました。
「問う、老子が書は若何、と。曰く、老子が書は、其の言自づから相入れざる處、冰炭の如し。其の初意は道の極玄妙處を談ぜんと欲するも、後來却って權詐を做す者の上に入り去る(將に之を取らんと欲すれば必ず固より之を與うの類の如し。)。然も老子が後に申・韓有り。申・韓と老子とを看るに道甚だ懸絕せり。然れども其の原は乃ち老子自り來る。蘇秦・張儀は則ち更に是れ道を取ること遠し。初め秦・儀鬼谷に學べり。其の術先づ其れ如何と揣摩[しま]して、然して後に捭闔[はいこう]して、捭闔旣に動いて、然して後に鉤鉗[こうかん]を用いて、其の端を鉤して然して後に之を鉗制す。其の學旣に成りて、鬼谷を辭し去る。鬼谷之を試すに、張儀が說の爲に動かさる(如入菴中說令出之。)。然れども其の學甚だ道に近からず、人甚だしくは之に惑わず。孟子の時已に置いて論ずるに足らずとすること有り、と。」

鬼谷先生のもとを去る時に先生が張儀を試したのだが、かえって張儀の方が一枚上だった、ということなのではないだろうか?しかし、その様な出来事はどの本に載っているのだろう?「如入菴中說令出之」は、「菴中に入るに說いて之を出さしむが如し」などと読めるのだろうか?

2009年7月17日金曜日

今日の質問。写真付

今日も『二程全書』からで、「遺書二先生語第七」から2問。

2行目と6行目の文です。

2行目:
敬下驢不起。世人所謂高者却是小。陳先生大分守不足。○足一作定。

注は「世人の所謂高きは却って是れ小。陳先生大分守って足らず。○足は一に定に作る。」とでも読むのでしょうか?それよりも本文が問題です。下驢不起それぞれの語の間に「-」が入っているのが特にわからないわけです。

6行目:
以誠意氣楪子、何不可。若有爲果子、係在他上、便不是。信得及便是也。氣、一作幾。
写真は『二程全書』で、上の文は『二程集」からです。
氣楪子」とは?「若有爲果子、係在他上」とは?

2009年6月25日木曜日

今日の質問

今日は二程全書の遺書二先生語三から。
孟子の語である「萬取千焉、千取百焉」の注に「齊語謂某處取某處遠近。」とあります。この注はどのような意味なのでしょう?「齊語に謂う、某の取る處は某の遠近する處、と。」?

2009年6月21日日曜日

今日の質問(写真付き)

今日は『二程全書』の「遺書三」からです。

写真(二程全書)にある、「漢成帝夢上帝敗我濯龍淵、打不過。」の読みがわからないのです。
このことは、インターネットに「許楊説:從前成帝採納了翟方進的意見,不久夢見自己到天上,天帝發怒説、為什麼要毀掉我的濯龍淵?自此以後百姓失去了它給予的好處,導致許多人飢餓窮困。」などとありますので、漢の成帝が濯龍淵を壊したのを上帝が怒ったという夢を成帝が見たということでしょう。しかし、後半の「打不過。」ってどういう意味(読み)なのでしょう?

2009年6月19日金曜日

今日の質問

またもや『二程全書』の「遺書二下」からです。
原文は、
「萬物皆備於我、此通人物而言。禽獸與人絕相似、只是不能推。然禽獸之性卻自然、不待學、不待敎。如營巢養子之類是也。人雖是靈、却椓喪處極多。只有一件、嬰兒飮乳是自然、非學也。其佗皆誘之也。欲得人家嬰兒善、且自小不要引佗。留佗眞性、待他自然、亦須完得些本性須別也。です。
ここの「且自小不要引佗。留佗眞性、待他自然」は二程集の句読点であり、二程全書では「且自小不要引佗留佗。眞性待他自然」です。
二程集の流れで読むと、「萬物皆我に備わるというは、此れ人物に通じて言えり。禽獸と人と絕[はなは]だ相似れども、只是れ推すこと能わず。然も禽獸の性は卻って自然にて、學を待たず、敎を待たず。巢を營み子を養うの類の如き是れなり。人は是れ靈なりと雖も、却って椓喪する處極めて多し。只一件、嬰兒の乳を飮むこと有るは是れ自然にして、學に非ざるなり。其の佗は皆之を誘うなり。人家嬰兒の善を得んことを欲せば、且小より佗を引くことを要せず。佗の眞性を留め、他の自然を待ち、亦須く些かの本性を完うし得べく須く別つべし。」となる?二程全書によれば「人家嬰兒の善を得んことを欲せば、且小より佗を引き佗を留めることを要せず。眞性は他の自然を待つ。」とでもなるのでしょうか?しかし、最後の「亦須完得些本性須別也。」もうまく読めません。難しいです!

2009年6月17日水曜日

今日の質問

今回は『二程全書』の「遺書二下」からです。
原文は、
餽運之術、雖自古亦無不煩民、不動搖而足者。然於古則有兵車、其中載糗糧、百人破二十五人。然古者行兵在中國、又不遠敵。若是深入遠處、則決無省力。且如秦運海隅之粟以饋邊、率三十鍾而致一石。是二百倍以來。今日師行、一兵行、一夫饋、只可供七日、其餘日必倶乏食也。且計之、須三夫而助一兵、仍須十五日便囘。一日不囘、則一日乏食。以此校之、無善術。故兵也者、古人必不得已而後用者、知此耳。
ここの「百人破二十五人」の「」はどういう意味なのでしょうか?私は「百人を二十五人づつに分ける」の意ではないかと思うのですが・・・。
ちなみに以下の通り読み下しました。
『餽運の術は、古自りすと雖も亦民を煩わさず、動搖せずして足る者無し。然も古に於ては則ち兵車有り、其の中に糗糧[きゅうりょう]を載せて、百人もて二十五人を破る。然も古は兵を行うは中國に在り、又遠く敵せず。若し是れ深く遠處に入るときは、則ち決して力を省くこと無し。且秦の海隅の粟を運んで以て邊に饋[おく]るが如き、率ね三十鍾にして一石を致す。是れ二百倍以て來るなり。今日の師行に、一兵行き、一夫饋るは、只七日に供す可く、其の餘日は必ず倶に食に乏し。且之を計るに、須く三夫にして一兵を助くべく、仍[よ]って須く十五日にして便ち囘るべし。一日も囘らずんば、則ち一日食に乏し。此を以て之を校[くら]ぶるに、善き術無し。故に兵とは、古人必ず已むことを得ずして後に用うる者は、此を知るのみ。』
それと、「邊、率三十鍾而致一石。」は『二程全書』では「邊率三十鍾而致一石。」で、「邊率に饋る」となっています。

2009年6月6日土曜日

今日の質問は2つ

今回も『二程全書』の「遺書二上」からです。

先ずは1つ目;
今日卓然不爲此學者、惟范景仁與君實爾。然其所執理、有出於禪學之下者。一日做身主不得、爲人驅過去裏
読みは、「今日卓然として此の學を爲さざる者は、惟范景仁と君實とのみ。然れども其の執る所の理は、禪學の下に出づる者有り。一日も身の主と做[な]して得ざれば、人の爲に驅過して裏に去る。」でしょうか?

2つ目;
今志於義理而心不安樂者、何也。此則正是剩一箇助之長。雖則心操之則存、舍之則亡、然而持之太甚、便是必有事焉而正之也。亦須且恁去如此者、只是德孤。德不孤、必有鄰。到德盛後、自無窒礙、左右逢其原也。
読みは、「今義理に志して心安樂ならざる者は、何ぞや。此れ則ち正に是れ一箇の之を助けて長ぜしむることを剩[あま]すなり。則ち心之を操るときは則ち存し、之を舍つるときは則ち亡ぶと雖も、然れども之を持すること太甚だしければ、便ち是れ必ず事とすること有りて而して之を正[あてて]するなり。亦須且恁去如此者は、只是れ德孤なり。德孤ならざれば、必ず鄰有り。德盛んなる後に到りて、自ら窒礙無く、左右其の原に逢うなり。」としましたが、赤字部分が全く読めないのです。

2009年6月2日火曜日

本当に久し振りの質問!

今回は只今取り組み中の『二程全書』の「遺書二上」から。
どうも文意がわからないのです。それは、これです。

「世間有鬼神憑依言語者、蓋屡見之。未可全不信。此亦有理。莫見乎隱、莫顯乎微而已。嘗以所求語劉絢、其後以其思索相示。但言與不是、元未嘗告之。近來求得稍親。」

私なりに以下の通りに読みました。
世間鬼神憑依して言語する者有り、蓋し屡々之を見る。未だ全くは信ぜずんばある可からず。此れ亦理有り。隱より見[あらわ]れたるは莫く、微より顯らかなるは莫きのみ。嘗て求むる所を以て劉絢[りゅうけん]に語りて、其の後其の思索を以て相示す。但言不是に與れば、元より未だ嘗て之に告げず。近來求め得ること稍親[ちか]し。

特にわからないところは、後半の「但言與不是、元未嘗告之。近來求得稍親。」です。
全体の文意は鬼神の憑依を肯定するものなのだろうが、後半に何故この語があるのか、それを理解することができないわけです。

2009年5月2日土曜日

今日の質問は『正蒙』の「中正篇」から

久し振りの質問です。
今日は張横渠の『正蒙』の「中正篇」の一文。
大亦聖之任。雖非淸和一體之偏、猶未忘於勉而大爾。若聖人、則性與天道無所勉焉。」です。
岩波文庫の『太極図・通書・西銘・正蒙』は、「大も亦聖の任なり。(ただ)淸和一體の偏に非ずと雖も、(併し)猶未だ勉むることを忘れずして大なるのみ。聖人の若きは、則ち性と天道とのままにして勉むる所無し。」と読み下している。
ここでわからないのは、「雖非淸和一體之偏」の読みです。「淸和一體の偏に非ずと雖も」と読んだ場合はどの様な意味になるのだろうか?これでよいのだろうか?と疑問が生じたのです。
ちなみに、王夫之の『張子正蒙注』の注釈は、「伊尹耕于有莘、亦夷之淸。出而五就湯、五就桀、亦惠之和。可兼二子、而執義已○、図功已亟、皆勉也。」です。
「淸和」は伯夷と柳下惠のこと。「淸和」は「偏」ではないのだろうか?ここでは偏とは捉えていないのでしょう!
伯夷・柳下惠は「淸和」だったが、勉めなかったので大には至っていない。伊尹は伯夷・柳下惠の「淸和」を兼ね持ち、それだけではなく勉めたので大なのであり、孔子は性と天道のままの人なので、勉める必要が無かった。そこに伊尹と孔子との違いがあるという文義となるでしょう。
なにか、質問らしくない様になってしまいました。

2009年4月8日水曜日

今日の質問は「似」



今日は黙斎の『葬之心得』から。
黙斎の書いた漢文なのだが、青線の『似』が読めない。
文は「其心薄乎火葬也。」で、普通は「其の心火葬に似て薄し。」と読めばよいと思うのだが、『似』の訓点は「リモ」となっている。そこでわからなくなった。『似』は「よりも」と読むのか?辞書を見ても「より」という読みはない。だが、これは黙斎自身が書いた文だから、それも可か?
画像をクリックして、見易い形で見て下さい。

2009年4月2日木曜日

今日の質問

今日は、二程の書。どこに載っているのか?その質問です。
二程治教録上下分明』の条と『二程治教録酒者古養老』の条です。

2009年3月31日火曜日

詩も不確かなのです

大きな図書館に行けば朱子のこの語はあるでしょうが、面倒臭い私は投稿します。

蒼顔已是十年前 把鏡回看一悵然
履薄臨深諒無幾 且將餘日付殘編

これは、山崎闇斎が社倉法序に書いた朱子の語です。
あまり難しい語ではないと思いますが、正確にはどう読むのでしょう?

あまりに有名な詩らしいので、恥ずかしいから私の訳はコメントに載せます。

2009年3月20日金曜日



今日の質問。
質問は青二重線の語。これって何だろう?
出典は『稲葉黙斎先生農村自治に関するの訓戒』(田原擔庵著)

読みは多分、
「南總海近く氣暖かなり。三冬時に或は扉を開く。農夫苦しみて(または「はなはだ」)を負うことを勧む。天公賜衣を服するに似れり。」だと思うのだが・・・

2009年3月13日金曜日

3月7日の続き

今日、図書館から『朱子学大系:朱子の先駆(下)』を借りた。楊亀山の語の読みはどうかと確認したかったからである。

「今の学者、只学を為すの方を知らずと為すも、又學成って何の用を要するを知らず。此の事、体大、須く是れ曾(かつ)て力を著け来るべく、方に易からざるを知らん。夫れ学とは聖賢の為す所を學ぶなり。聖賢の為す所を為さんと欲せば、須く是れ聖賢得る所の道を聞くべし。若し只博く古今に通じ文章を為り作忠信愿愨にして非義を為さざるの士と作るを要するのみならば、則ち古来此の如き等の人少ならかず。然れども以て道を聞くと為さば則ち不可なり。且如(たと)えば東漢の衰えたるとき、處士逸人と夫の名節の士と當世に聞ゆる有る者多し。其の作す處を観るに之を責むるに古聖賢の道を以てせば、則ち畧毫髪髣髴も相似ること無きは何ぞや。彼道に於て初めより聞く所無きを以ての故なり。今時の学者平居すれば則ち曰く、吾當に古人の為す所を為すべし、と。纔かに事有りて手に到れば便ち措置し得ず。蓋し其の学ぶ所以博く古今に通じ文章を為り或は忠信愿愨非義を為さざるを志すを以てするのみにして、須く是れ道を聞くべきを知らず。故に應に此に如くなるべし。之に由りて之を観れば、学べども道を聞かざるは猶学ばざるがごときなり。」だった。

「此の事、体大」には注があって、「これは重大な事柄で、勉強をつづけなければ理解できない、難しい問題である。」だそうである。
読む人の人数ほどに読み方がある様である。

2009年3月7日土曜日

3月3日の質問の続き

楊亀山の一件、道学協会刊行の『佐藤先生冬至文』を本日確認したところ、ほぼ黙斎講義と同様だった。
これは、二つの訳を載せる必要があるのではないか、と思った次第。亀山はこう書いたのだが、黙斎の学派はこの様に読んでいるとするのである。

2009年3月3日火曜日

今日の質問

久し振りの質問です。朱子行宮便殿と楊亀山の語の様です。送り点に添って読んでみました。
*「朱子行宮便殿と楊亀山の語の様です。」は訂正します。どちらも楊亀山の語でした。

1.今之学者只為不知為学之方又不知學成要何用、此事体大須是曾著力来。方知不易。夫学者學聖賢之所為也。欲為聖賢之所為、須是聞聖賢所得之道。若只要博通古今為文章作忠信愿愨不為非義之士而已、則古来如此等人不少。然以為聞道則不可。且如東漢之衰。處士逸人夫與夫名節之士有聞當世者多矣。観其作處責之以古聖賢之道、則畧無毫髪髣髴相似何也。以彼於道初無所聞故也。
【読み】
今の学者は只学を為すの方を知らず、又学成りて何の用を要むを知らざるが為に、此の事体大いに須く是れ曾(すなわ)ち力を著(つ)け来るべし。方に易からざることを知らん。夫れ学とは聖賢の為す所を学ぶなり。聖賢の為す所を為さんと欲せば、須く是れ聖賢の得る所の道を聞くべし。若し只博く古今に通じ、文章を為(つく)り、忠信愿(げん)愨(かく)非義を為さざるの士を作さんとのみを要むれば、則ち古来此の如き等の人少なからず。然れども以て道を聞くを為すは則ち不可なり。且(また)東漢の衰えの如し。處士逸人と夫の名節の士と當世に聞くこと有る者多し。其の作す處を観、之を責むるに古の聖賢の道を以てすれば、則ち畧(ほぼ)毫髪も髣髴相似ること無きは何ぞや。彼の道に於て初めより聞く所無きを以ての故なり。

2.今時学者平居則曰、吾當為古人所為纔有事到手便措置不得。盖其所学以博通古今為文章或志於忠信愿愨不為非義而已而不知須是聞道故應如此。由之観之学而不聞道猶不学也。
【読み】
今時の学者平居には則ち曰く、吾れ古人の為す所を為すに當たり、纔かに事有り手に到れば便ち措置し得ず、と。盖し其の学ぶ所は博く古今に通じ、文章を為り、或は忠信愿愨非義を為さざるに志すのみにして、須く是れ道を聞くべきを知らざるを以ての故に、應(まさ)に此の如くなるべし。之に由りて之を観れば、学んで道を聞かざれば猶学ばざるがごときなり。

2009年2月7日土曜日

今日の質問

今日も黙斎の『冬至文講義三講』からの質問。
一番左側の小注の読みです。
信按朱子嘗議呂居仁見学者則商量見後生則教之詳見語類です。
先ずはどこで区切るか?そしてどう読むかです。
「議」の下に「下」という点があるのが悩む原因の一つです。
区切りは
「信按朱子嘗議呂居仁見学者則商量、見後生則教之。詳見語類」でしょうか?
因みに、「信」は黙斎。「呂居仁」は呂東莱です
私の読みはコメントに書きます。

赤字のところですが、良南釣徒様にご助言をいただきました。
「呂居仁」は呂本中に訂正いたします。

2009年1月30日金曜日

久し振りの質問



























久し振りの質問は稲葉黙斎の冬至文からです。これは「黙斎を語る会」が最初に読んだ黙斎の文で、HPにも載せてありますが、今もかなりの間違えがあるままになっています。・・・わかるところは近く訂正するつもりです。

ここで質問とするのは左側から4行以降の以下の句です。
先師記其後曰、聽得尤善。抑々吾 邦自神武以来此學未開矣。欲得其未開之學於己、豈浮沈于武人俗吏之間畏縮險巧桀黠之徒者之所能得耶。先生標的鞭策之編良有以也吾人所宜致思而勉勵也。
読みはざっと、「先師其の後に記して曰く、聴き得る尤も善し。抑々[そもそも]吾が邦神武より以来、此の学未だ開かざるなり。其の未だ開かざるの学を己に得んと欲せば、豈に武人俗吏の間に浮沈し、畏縮・険巧・桀黠 [けっかつ]の徒なる者の能く得る所ならんや。先生、標的鞭策の編良[まこと]に有以也。吾人宜しく思いを致して勉励すべき所なり。」となるでしょうか?
ここでわからないのは、「有以也」の読み方です。
「以」を辞典で調べると、「もってする」とか「おもう」とかありますが、また、「これ、この」という意味もある様です。「これ」の意であれば、「先生、標的鞭策の編良[まこと]に以[これ]有り。」となるのですが。どうでしょう?

2009年1月11日日曜日

今日の難問

「陰陽是氣、五行是質。有這質、所以做得物事出來。五行雖是質、他又有五行之氣這物事方得。然卻是陰陽二氣截做這五箇、不是陰陽外別有五行。」
出典:『朱子語類』一

これは、「陰陽は気であり、五行は質である。この質があるから物を作り出せる。五行は質であるが、それには更に五行の気があって物を作ることが初めて可能なのである。しかし、陰陽二気が分かれてこの五つになるのであって、陰陽とは別個に五行があるのではない。」の意。これを読み下す段になると、特に赤文字部分が不安です。私なりの読み下しはコメントに載せました。

2009年1月2日金曜日

今年最初の質問

明けましておめでとうございます
今年最初の質問です。
「不傳の學を遺經に繼ぐ」の出典です。黙斎は程明道の語の様に言っていますが、どうも見あたらないのです。多分「繼不傳之學於(于)遺經」みたいな感じなんですが・・・
この言葉が何かいい感じなので、今度の本に載せたいのですが、出典が分からずに載せるのは憚れますので・・・