2008年12月26日金曜日

今日の質問

今日の質問も漢文の読み1問
熹舊見李先生時、説得無限道理、也曾學禪。李先生云、汝恁地懸空理會得許多。而面前事、却有理會不得。道亦無玄妙。只在日用閒、著實做工夫處理會、便自見得。後來方曉得他説。故今日不至無理會耳。 出典は『延平答問補録』

朱子學大系では「熹舊(もと)李先生に見(まみ)えし時、無限の道理を説き得、也(また)曾て禪を學び去る。李先生云う、汝恁地(かくのごとく)に懸空に理會し得ること許多なり。而れども面前の事、却って理會し得ざること有らん。道も亦玄妙無し。只日用の閒、實を著けて工夫を做(な)す處に在りて理會せば、便ち自ずから見得ん、と。後來方(まさ)に他の説を曉(さと)り得。故に今日理會すること無きに至らざるのみ。」と読んでいます。

ここでわからないのは、「也曾學禪」の「」です。
書き出しの文意は、昔朱子が李延平先生に会った時に、朱子が博識を説き、また禅学を学んでいることを話したということではないでしょうか?それを李延平がたしなめたということだと思います。「」は「る」なのですかねぇ?

2008年12月22日月曜日

久し振りの質問 3問

久し振りに質問をしますので、3問出します。

1.堯夫易數甚精。自來推長暦者、至久必差。惟堯夫不然。指一二近事、當面可驗。明道云、待要傳與某兄弟。某兄弟那得工夫。要學、是二十年功夫。明道聞説甚熟。一日因監試無事、以其説推算之皆合。出謂堯夫曰、堯夫之數只是加一倍法。以此知太玄都不濟事。…他日伊川問明道曰、加倍之數如何。曰、都忘之矣。
出典は『程氏外書』12。

2.堯夫嘗言、能物物、則我爲物之人也。不能物物、則我爲物之物也。亦不消如此。人自人、物自物、道理甚分明。
出典は『程氏遺書』1。

3.康節煞有好説話、近思録不曾取入。
出典は『朱子語類』100。

今回は?今回もですが、自信はないのでコメントの中で自分の読みなどを書きます。

2008年12月15日月曜日

今日は本の質問

今日は難字・難文の質問ではありません。
どなたか、韓愈の『原性』の載っている本を知りませんか?

2008年12月14日日曜日

今日の難文

問、孝弟爲仁之本、此是由孝弟可以至仁否。曰、非。謂行仁自孝弟始。蓋孝弟是仁一事。謂之行仁之本、則可。謂之是仁之本、則不可。蓋仁是性也。孝弟是用也。性中只有仁義禮智四者。幾曾有孝弟來。仁主於愛。愛莫大於愛親。故曰、孝弟也者、其爲仁之本歟。
出典;『程氏遺書』一八。

問題は、「幾曾有孝弟來」の「幾曾」です。「幾」は豈と同じ?「曾」はそのままかつてでよいか?「幾曾て孝弟有りて來らんや」か?「幾曾て孝弟來ること有らんや」か?

そろそろ程伊川を終えようとしている。次は張横渠である。

2008年12月13日土曜日

今日の質問

ここのところの質問の多くをお陰様で解決することができましたが、自分の漢文レベルの低さを痛感した次第です。尤も、中学校や高校?での漢文しか習ってこなかったから仕方がないかもなどと言うのは言訳です。
そこで、少し簡単な質問です。

至於不能順其情、而悖天理、則流而至於惡。(出典は『程氏遺書』22上)

青線部分の読み方です。
1.其の情に順うこと能わずして、天理に悖るに至れば、則ち流れて惡に至る。
2.其の情に順うこと能わざるに至りて、天理に悖らば、則ち流れて惡に至る。
どちらなのかわからんのです。

前後の文は以下の通り。
棣問、孔孟言性不同如何。曰、孟子言性之善、是性之本、孔子言性相近、謂其稟受處不相遠也。人性皆善。所以善者、於四端之情可見。故孟子曰、是豈人之情也哉。至於不能順其情、而悖天理、則流而至於惡。故曰、乃若其情、則可以爲善矣。若、順也。

2008年12月9日火曜日

今日の質問

『程氏遺書』一五からの漢文の読み下しの質問を二つ。
1.若謂既返之氣、復將爲方伸之氣、必資於此、則殊與天地之化不相似。天地之化、自然生生不窮。更何復資於既斃之形・既返之氣、以爲造化。…氣則自然生。人氣之生、生於眞元。天之氣亦自然生生不窮。
2.道則自然生萬物。今夫春生夏長了一番、皆是道之生、後來生長。不可道却將既生之氣、後來却要生長。道則自然生生不息。

私は勝手にこう読みました。
1.若し既返の氣、復將に方伸の氣を爲さんとするに、必ず此を資すと謂わば、則ち殊に天地の化と相似せず。天地の化は、自然に生生して窮まらず。更に何ぞ復既斃の形・既返の氣を資して、以て造化を爲さんや。…氣は則ち自然に生ず。人氣の生ずるや、眞元より生ず。天の氣も亦自然に生生して窮まらず。
2.道ならば則ち自然に萬物を生ず。今夫れ春生じ夏長じ一番を了えるは、皆是れ道の生じて、後來生長す。却て既生の氣を將て、後來却て生長を要すと道う可からず。道ならば則ち自然に生生して息まず。

『程氏遺書』一八からの漢文の読み下しの質問を一つ。
3.曰、今天下未有無父母之人。古有氣化、今無氣化何也。曰、有兩般。有全是氣化而生者。若腐草化螢是也。既是氣化、到合化時自化。有氣化生之後而種生者。且如人身上著新衣服、過幾日、便有蟣蝨生其間。此氣化也。氣既化後更不化、便以種生去。此理甚明。

私は勝手にこう読みました。
3.曰く、今天下未だ父母無きの人有らず。古は氣化有り、今は氣化無きは何ぞや、と。曰く、兩般有り。全く是れ氣化にして生ずる者有り。腐草螢に化すというが若き是れなり。既に是れ氣化なれば、化時に到合して自ら化す。氣化し生ずるの後にして種生する者有り。且つ人身上に新しき衣服を著け、幾日を過ぎ、便ち蟣蝨其の間に生ずる有るが如き、此れ氣化なり。氣既に化して後更に化せず、便ち種を以て生じ去る。此の理甚だ明らかなり、と。
正しいと思われる読み方を投稿して下さい。

2008年12月8日月曜日

今日は宋代の制度についての質問

宋代の制度について、二つ分かりません。
1.管勾崇福宮
「管勾」は、三京留司・御史台に管勾・台事をそれぞれ一人置き、上奏文や廟宮の儀式などの事務を担当し、その違失を取り調べ処理する官職だそうですが、「崇福宮」とは?
2.通直郎権判西京国子監
「通直郎」は、宋朝文散官の官階。三十七階級中の二十五番目。正八品だそうです。「判」は兼官の意だそうで、「西京国子監」は、西京は洛陽。国子監は都にあった国立大学を統轄し、教育及び教育行政を司った機関だそうだが、「権」とは?
上記の二官は程伊川に関わる官職です。
「管勾」や「通直郎」も、上記の他にデータがあればお教え下さい。皆さん、宜しく!

2008年12月2日火曜日

久し振りの問題。今回は漢文です。

「聖人致公心、盡天地萬物之理、各當其分。佛氏總爲一己之私。是安得同乎。聖人循理。故平直而易行。異端造作、大小大費力、非自然也。故失之遠。」
出典は『程氏遺書』一四です。
特に「異端造作」の「造作」は返り点で行くか?直に読むか?と、「大小大費力」をどこで区切って読むか?というところでしょうか?
今、程明道を読んでいるので助言をお願いします。