今日は『二程全書』の十九から。
「禮記儒行・經解、全不是。因舉呂與叔解亦云、儒行夸大之語、非孔子之言。然亦不害義理。先生曰、煞害義理。恰限易、便只潔靜精微了却、詩、便只溫柔敦厚了却、皆不是也。」の恰限をいかに読むかです。わかりません!!
それ以外は以下の通り読みました。
「禮記の儒行・經解は、全く不是なり。因りて呂與叔の解を舉げて亦云う、儒行夸大の語、孔子の言に非ず。然れども亦義理を害せず、と。先生曰く、煞だ義理を害す。恰限易は、便ち只潔靜精微了却し、詩は、便ち只溫柔敦厚了却すとは、皆是ならず、と。」
「恰[あたか]も限って」などと読んでよいのだろうか?
2009年10月7日水曜日
2009年9月26日土曜日
久しぶりの質問
今回も『二程全書18』から
問、老子書若何。曰、老子書、其言自不相入處、如冰炭。其初意欲談道之極玄妙處、後來却入做權詐者上去(如將欲取之必固與之之類。)。然老子之後有申・韓。看申・韓與老子道甚懸絕。然其原乃自老子來。蘇秦・張儀則更是取道遠。初秦・儀學於鬼谷。其術先揣摩其如何、然後捭闔、捭闔旣動、然後用鉤鉗、鉤其端然後鉗制之。其學旣成、辭鬼谷去。鬼谷試之、爲張儀說所動(如入菴中說令出之。)。然其學甚不近道、人不甚惑之。孟子時已有置而不足論也。
老子・申・韓・蘇秦・張儀に対する伊川の評価。ここの小注の「如入菴中說令出之」をどう読めばよいのかがわかりません。
句全体は以下のとおりに読みました。
「問う、老子が書は若何、と。曰く、老子が書は、其の言自づから相入れざる處、冰炭の如し。其の初意は道の極玄妙處を談ぜんと欲するも、後來却って權詐を做す者の上に入り去る(將に之を取らんと欲すれば必ず固より之を與うの類の如し。)。然も老子が後に申・韓有り。申・韓と老子とを看るに道甚だ懸絕せり。然れども其の原は乃ち老子自り來る。蘇秦・張儀は則ち更に是れ道を取ること遠し。初め秦・儀鬼谷に學べり。其の術先づ其れ如何と揣摩[しま]して、然して後に捭闔[はいこう]して、捭闔旣に動いて、然して後に鉤鉗[こうかん]を用いて、其の端を鉤して然して後に之を鉗制す。其の學旣に成りて、鬼谷を辭し去る。鬼谷之を試すに、張儀が說の爲に動かさる(如入菴中說令出之。)。然れども其の學甚だ道に近からず、人甚だしくは之に惑わず。孟子の時已に置いて論ずるに足らずとすること有り、と。」
鬼谷先生のもとを去る時に先生が張儀を試したのだが、かえって張儀の方が一枚上だった、ということなのではないだろうか?しかし、その様な出来事はどの本に載っているのだろう?「如入菴中說令出之」は、「菴中に入るに說いて之を出さしむが如し」などと読めるのだろうか?
問、老子書若何。曰、老子書、其言自不相入處、如冰炭。其初意欲談道之極玄妙處、後來却入做權詐者上去(如將欲取之必固與之之類。)。然老子之後有申・韓。看申・韓與老子道甚懸絕。然其原乃自老子來。蘇秦・張儀則更是取道遠。初秦・儀學於鬼谷。其術先揣摩其如何、然後捭闔、捭闔旣動、然後用鉤鉗、鉤其端然後鉗制之。其學旣成、辭鬼谷去。鬼谷試之、爲張儀說所動(如入菴中說令出之。)。然其學甚不近道、人不甚惑之。孟子時已有置而不足論也。
老子・申・韓・蘇秦・張儀に対する伊川の評価。ここの小注の「如入菴中說令出之」をどう読めばよいのかがわかりません。
句全体は以下のとおりに読みました。
「問う、老子が書は若何、と。曰く、老子が書は、其の言自づから相入れざる處、冰炭の如し。其の初意は道の極玄妙處を談ぜんと欲するも、後來却って權詐を做す者の上に入り去る(將に之を取らんと欲すれば必ず固より之を與うの類の如し。)。然も老子が後に申・韓有り。申・韓と老子とを看るに道甚だ懸絕せり。然れども其の原は乃ち老子自り來る。蘇秦・張儀は則ち更に是れ道を取ること遠し。初め秦・儀鬼谷に學べり。其の術先づ其れ如何と揣摩[しま]して、然して後に捭闔[はいこう]して、捭闔旣に動いて、然して後に鉤鉗[こうかん]を用いて、其の端を鉤して然して後に之を鉗制す。其の學旣に成りて、鬼谷を辭し去る。鬼谷之を試すに、張儀が說の爲に動かさる(如入菴中說令出之。)。然れども其の學甚だ道に近からず、人甚だしくは之に惑わず。孟子の時已に置いて論ずるに足らずとすること有り、と。」
鬼谷先生のもとを去る時に先生が張儀を試したのだが、かえって張儀の方が一枚上だった、ということなのではないだろうか?しかし、その様な出来事はどの本に載っているのだろう?「如入菴中說令出之」は、「菴中に入るに說いて之を出さしむが如し」などと読めるのだろうか?
2009年7月17日金曜日
今日の質問。写真付
2009年6月25日木曜日
今日の質問
今日は二程全書の遺書二先生語三から。
孟子の語である「萬取千焉、千取百焉」の注に「齊語謂某處取某處遠近。」とあります。この注はどのような意味なのでしょう?「齊語に謂う、某の取る處は某の遠近する處、と。」?
孟子の語である「萬取千焉、千取百焉」の注に「齊語謂某處取某處遠近。」とあります。この注はどのような意味なのでしょう?「齊語に謂う、某の取る處は某の遠近する處、と。」?
2009年6月21日日曜日
今日の質問(写真付き)
2009年6月19日金曜日
今日の質問
またもや『二程全書』の「遺書二下」からです。
原文は、
「萬物皆備於我、此通人物而言。禽獸與人絕相似、只是不能推。然禽獸之性卻自然、不待學、不待敎。如營巢養子之類是也。人雖是靈、却椓喪處極多。只有一件、嬰兒飮乳是自然、非學也。其佗皆誘之也。欲得人家嬰兒善、且自小不要引佗。留佗眞性、待他自然、亦須完得些本性須別也。」です。
ここの「且自小不要引佗。留佗眞性、待他自然」は二程集の句読点であり、二程全書では「且自小不要引佗留佗。眞性待他自然」です。
二程集の流れで読むと、「萬物皆我に備わるというは、此れ人物に通じて言えり。禽獸と人と絕[はなは]だ相似れども、只是れ推すこと能わず。然も禽獸の性は卻って自然にて、學を待たず、敎を待たず。巢を營み子を養うの類の如き是れなり。人は是れ靈なりと雖も、却って椓喪する處極めて多し。只一件、嬰兒の乳を飮むこと有るは是れ自然にして、學に非ざるなり。其の佗は皆之を誘うなり。人家嬰兒の善を得んことを欲せば、且小より佗を引くことを要せず。佗の眞性を留め、他の自然を待ち、亦須く些かの本性を完うし得べく須く別つべし。」となる?二程全書によれば「人家嬰兒の善を得んことを欲せば、且小より佗を引き佗を留めることを要せず。眞性は他の自然を待つ。」とでもなるのでしょうか?しかし、最後の「亦須完得些本性須別也。」もうまく読めません。難しいです!
原文は、
「萬物皆備於我、此通人物而言。禽獸與人絕相似、只是不能推。然禽獸之性卻自然、不待學、不待敎。如營巢養子之類是也。人雖是靈、却椓喪處極多。只有一件、嬰兒飮乳是自然、非學也。其佗皆誘之也。欲得人家嬰兒善、且自小不要引佗。留佗眞性、待他自然、亦須完得些本性須別也。」です。
ここの「且自小不要引佗。留佗眞性、待他自然」は二程集の句読点であり、二程全書では「且自小不要引佗留佗。眞性待他自然」です。
二程集の流れで読むと、「萬物皆我に備わるというは、此れ人物に通じて言えり。禽獸と人と絕[はなは]だ相似れども、只是れ推すこと能わず。然も禽獸の性は卻って自然にて、學を待たず、敎を待たず。巢を營み子を養うの類の如き是れなり。人は是れ靈なりと雖も、却って椓喪する處極めて多し。只一件、嬰兒の乳を飮むこと有るは是れ自然にして、學に非ざるなり。其の佗は皆之を誘うなり。人家嬰兒の善を得んことを欲せば、且小より佗を引くことを要せず。佗の眞性を留め、他の自然を待ち、亦須く些かの本性を完うし得べく須く別つべし。」となる?二程全書によれば「人家嬰兒の善を得んことを欲せば、且小より佗を引き佗を留めることを要せず。眞性は他の自然を待つ。」とでもなるのでしょうか?しかし、最後の「亦須完得些本性須別也。」もうまく読めません。難しいです!
2009年6月17日水曜日
今日の質問
今回は『二程全書』の「遺書二下」からです。
原文は、
『餽運之術、雖自古亦無不煩民、不動搖而足者。然於古則有兵車、其中載糗糧、百人破二十五人。然古者行兵在中國、又不遠敵。若是深入遠處、則決無省力。且如秦運海隅之粟以饋邊、率三十鍾而致一石。是二百倍以來。今日師行、一兵行、一夫饋、只可供七日、其餘日必倶乏食也。且計之、須三夫而助一兵、仍須十五日便囘。一日不囘、則一日乏食。以此校之、無善術。故兵也者、古人必不得已而後用者、知此耳。』
ここの「百人破二十五人」の「破」はどういう意味なのでしょうか?私は「百人を二十五人づつに分ける」の意ではないかと思うのですが・・・。
ちなみに以下の通り読み下しました。
『餽運の術は、古自りすと雖も亦民を煩わさず、動搖せずして足る者無し。然も古に於ては則ち兵車有り、其の中に糗糧[きゅうりょう]を載せて、百人もて二十五人を破る。然も古は兵を行うは中國に在り、又遠く敵せず。若し是れ深く遠處に入るときは、則ち決して力を省くこと無し。且秦の海隅の粟を運んで以て邊に饋[おく]るが如き、率ね三十鍾にして一石を致す。是れ二百倍以て來るなり。今日の師行に、一兵行き、一夫饋るは、只七日に供す可く、其の餘日は必ず倶に食に乏し。且之を計るに、須く三夫にして一兵を助くべく、仍[よ]って須く十五日にして便ち囘るべし。一日も囘らずんば、則ち一日食に乏し。此を以て之を校[くら]ぶるに、善き術無し。故に兵とは、古人必ず已むことを得ずして後に用うる者は、此を知るのみ。』
それと、「饋邊、率三十鍾而致一石。」は『二程全書』では「饋邊率、三十鍾而致一石。」で、「邊率に饋る」となっています。
原文は、
『餽運之術、雖自古亦無不煩民、不動搖而足者。然於古則有兵車、其中載糗糧、百人破二十五人。然古者行兵在中國、又不遠敵。若是深入遠處、則決無省力。且如秦運海隅之粟以饋邊、率三十鍾而致一石。是二百倍以來。今日師行、一兵行、一夫饋、只可供七日、其餘日必倶乏食也。且計之、須三夫而助一兵、仍須十五日便囘。一日不囘、則一日乏食。以此校之、無善術。故兵也者、古人必不得已而後用者、知此耳。』
ここの「百人破二十五人」の「破」はどういう意味なのでしょうか?私は「百人を二十五人づつに分ける」の意ではないかと思うのですが・・・。
ちなみに以下の通り読み下しました。
『餽運の術は、古自りすと雖も亦民を煩わさず、動搖せずして足る者無し。然も古に於ては則ち兵車有り、其の中に糗糧[きゅうりょう]を載せて、百人もて二十五人を破る。然も古は兵を行うは中國に在り、又遠く敵せず。若し是れ深く遠處に入るときは、則ち決して力を省くこと無し。且秦の海隅の粟を運んで以て邊に饋[おく]るが如き、率ね三十鍾にして一石を致す。是れ二百倍以て來るなり。今日の師行に、一兵行き、一夫饋るは、只七日に供す可く、其の餘日は必ず倶に食に乏し。且之を計るに、須く三夫にして一兵を助くべく、仍[よ]って須く十五日にして便ち囘るべし。一日も囘らずんば、則ち一日食に乏し。此を以て之を校[くら]ぶるに、善き術無し。故に兵とは、古人必ず已むことを得ずして後に用うる者は、此を知るのみ。』
それと、「饋邊、率三十鍾而致一石。」は『二程全書』では「饋邊率、三十鍾而致一石。」で、「邊率に饋る」となっています。
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