問、孝弟爲仁之本、此是由孝弟可以至仁否。曰、非。謂行仁自孝弟始。蓋孝弟是仁一事。謂之行仁之本、則可。謂之是仁之本、則不可。蓋仁是性也。孝弟是用也。性中只有仁義禮智四者。幾曾有孝弟來。仁主於愛。愛莫大於愛親。故曰、孝弟也者、其爲仁之本歟。
出典;『程氏遺書』一八。
問題は、「幾曾有孝弟來」の「幾曾」です。「幾」は豈と同じ?「曾」はそのままかつてでよいか?「幾曾て孝弟有りて來らんや」か?「幾曾て孝弟來ること有らんや」か?
そろそろ程伊川を終えようとしている。次は張横渠である。
稲葉黙斎の講義録や関連資料にある、私にとっての難字・難文の質問箱です。どなたか是非読み方をお教え下さい。中には、わかったものもあります。それは問題として読んで下さい。