2009年3月20日金曜日



今日の質問。
質問は青二重線の語。これって何だろう?
出典は『稲葉黙斎先生農村自治に関するの訓戒』(田原擔庵著)

読みは多分、
「南總海近く氣暖かなり。三冬時に或は扉を開く。農夫苦しみて(または「はなはだ」)を負うことを勧む。天公賜衣を服するに似れり。」だと思うのだが・・・

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 こんにちは。Blogも含めまして、楽しく拝見させていただいています。また、黙斎の講義も興味深く読ませていただいております。
 問題の個所ですが、「負」で辞書を引きましたところ、「負暄」(暄[けん]を負[お]う)で出ていまして①ひなたぼっこをする。②君主に忠誠をつくすたとえ。とのことです。
 文字を見ると明らかに「睻」ですが、「暄」の書き間違いではないでしょうか?「農夫苦(はなは)だ暄を負うを勧む」、のどかですねぇ。 
 ところで田原擔庵という方は、上総道学の最後の人ということですが、いつ頃のひとなのでしょうか?
 

ウソツキ恒ちゃん さんのコメント...

いつも素早いお答え、ありがとうございます。
「暄を負う」ですか!私も辞書で確認しました。黙斎は故事を引用したのですね。
私は、「農夫が暑いのを嫌って、何か日除けになるものを勧めたのだ」と勝手に思い込んで、「暄」は萱みたいなものかと考えていました。ところで私の辞書では「暄」から調べると「負暄」は出ていません。「負」で調べるべきでした。
ところで田原擔庵ですが、「黙斎を語る会」のHPの崎門学脈系譜に載せてあります。
田原擔庵。名は秀熹。綱三郎と称す。成東町湯坂の人。昭和13年(1938)1月18日没。年68。
父は田原秀信。利左次と称す。号は耕庵。成東町湯坂の人。昭和2年(1927)9月7日没。年78。
田原擔庵の孫と面識があり、時々本を借りています。
上総道学は昭和まで続きました。

匿名 さんのコメント...

田原擔庵氏のこと、ありがとうございます。昭和初期まで、道学の伝統を受け継いでいた先生がいらっしゃったんですねぇ。伝統が絶えてしまうことは、寂しいことです。