2008年12月26日金曜日

今日の質問

今日の質問も漢文の読み1問
熹舊見李先生時、説得無限道理、也曾學禪。李先生云、汝恁地懸空理會得許多。而面前事、却有理會不得。道亦無玄妙。只在日用閒、著實做工夫處理會、便自見得。後來方曉得他説。故今日不至無理會耳。 出典は『延平答問補録』

朱子學大系では「熹舊(もと)李先生に見(まみ)えし時、無限の道理を説き得、也(また)曾て禪を學び去る。李先生云う、汝恁地(かくのごとく)に懸空に理會し得ること許多なり。而れども面前の事、却って理會し得ざること有らん。道も亦玄妙無し。只日用の閒、實を著けて工夫を做(な)す處に在りて理會せば、便ち自ずから見得ん、と。後來方(まさ)に他の説を曉(さと)り得。故に今日理會すること無きに至らざるのみ。」と読んでいます。

ここでわからないのは、「也曾學禪」の「」です。
書き出しの文意は、昔朱子が李延平先生に会った時に、朱子が博識を説き、また禅学を学んでいることを話したということではないでしょうか?それを李延平がたしなめたということだと思います。「」は「る」なのですかねぇ?

9 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ここの「去」は動詞ですが、軽い意味ですね。「去+動詞(句)」の形で、後続の動詞に積極的能動的なニュアンスを与えます。
 一般的に訓読の際は、「ゆきて…す」で処理されています。ここの場合では「也曾て去(ゆ)きて禪を學ぶ」となりますね。「禪を學び去る」はちょっとツライ(笑)
 年末にも関わらず、お疲れ様です。わたしも今年は聖賢の書を読みながら年を越そうと思っています!

ウソツキ恒ちゃん さんのコメント...

ありがとうございます。
「去」は「ゆきて…す」ですね。

そこそこの値段で「漢文の用例(読方)辞典」みたいなものは無いでしょうか?

昨日は仕事納めでしたが、今年は漢文に年末年始は関係ない様です。
ただ、年末年始は地区の行事だけで神社や寺、新年会や水路掃除などがあって、その方が疲れます。

ウソツキ恒ちゃん さんのコメント...

ちょっと考え込んでしまったのですが、「熹舊見李先生時、説得無限道理、也曾去學禪。」ですが、本の流れにそって、また「去」を行くと読んで修正すると、「熹舊(もと)李先生に見(まみ)えし時、無限の道理を説き得、也(また)曾て去(ゆ)きて禪を學べり、と。」とでもなりますか。
そこで考えたのですが、「説得」を分けて、「熹舊(もと)李先生に見(まみ)えし時、無限の道理を得、也(また)曾て去(ゆ)きて禪を學べりと説けり。」とするのは無理筋でしょうか?
この方が流れがいい様に思うのですが…

匿名 さんのコメント...

 「説得」を分けて読むのは、もちろん漢文の規則としては、それも有り得るのですが、このような口語混じり文では、どうしても「説き得」(「動詞+得」で可能を表す)と読みたくなりますね。語録モノにはよく出てくる表現ですし…。中国語の辞書でも「説得」で熟語として解説しているものがあります。
 漢文の読み方の辞書ですが、多久弘一『漢文解釈辞典』(国書刊行会)は用例が豊富なので、読みの基準としてたまに活用してます。ただ、『朱子語類』や『程氏遺書』など口語混じり文を読むには不十分ですね。口語が載っているので薦められるのは入矢義高『禅語辞典』(思文閣出版)ですが、ちょっとボリュームが少ないです。また中国文明選『朱子集』の索引位ですねぇ。

ウソツキ恒ちゃん さんのコメント...

またまた、ありがとうございました。
可能かと思ったのですが、不可とします。「説得」は熟語が一般ということをで行きます。
しかし、年末に際して本当に有難うございます。

ウソツキ恒ちゃん さんのコメント...

言い残しました、辞書のこと。参考にしてじっくりと探します。

匿名 さんのコメント...

 古典を読むための辞書は、ご存じかも知れませんが、早稲田の土田健次郎教授のHP(http://www.f.waseda.jp/kdota/jyugyo.html)にも色々と紹介されていますので、参考にして下さい☆

ウソツキ恒ちゃん さんのコメント...

良南釣徒様;
いつもご助言ありがとうございます。
ところで、「去」ですが、神頼みの神からも助言をいただきました。
それによると、「訓読は、漢代以前の古文〔漢文〕を訳読する手立てですが、唐・宋の語類体は古文の語彙に
当時の白話が混入した〔時文〕に対応するものではありません。そこで、古文と同じ手法で時文を読みこなそうとすると、助字・虚辞の処理で壁に突き当たることになります。江戸時代の学者は、それを分った上で、便宜的に訓読し時文の助字・虚辞の問題を解釈
の時に処理していたようです。問題の「去」は本来の字義で用いられているのではなく、完了・継続を表現する助字が、白話文相当の箇所に使用されているので、『かつて禅を学んでいた』『かつてより禅を学んでいる』位の解釈でよいように思います。」とのことでした。

匿名 さんのコメント...

 ありがとうございます。神さまの先生のおっしゃる通り、やはり正統的訓読法のみで白話文を読むのは大変困難かと。助詞や虚字などはそのまま、もしくは多少形を変えて、現代中国語にも保存されていますので、中国語はできるだけ学ぶようにしています。かと言って、「中国語による直読だけが唯一の方法」という主張がありますが、それには賛同できないのです。