2008年12月22日月曜日

久し振りの質問 3問

久し振りに質問をしますので、3問出します。

1.堯夫易數甚精。自來推長暦者、至久必差。惟堯夫不然。指一二近事、當面可驗。明道云、待要傳與某兄弟。某兄弟那得工夫。要學、是二十年功夫。明道聞説甚熟。一日因監試無事、以其説推算之皆合。出謂堯夫曰、堯夫之數只是加一倍法。以此知太玄都不濟事。…他日伊川問明道曰、加倍之數如何。曰、都忘之矣。
出典は『程氏外書』12。

2.堯夫嘗言、能物物、則我爲物之人也。不能物物、則我爲物之物也。亦不消如此。人自人、物自物、道理甚分明。
出典は『程氏遺書』1。

3.康節煞有好説話、近思録不曾取入。
出典は『朱子語類』100。

今回は?今回もですが、自信はないのでコメントの中で自分の読みなどを書きます。

5 件のコメント:

ウソツキ恒ちゃん さんのコメント...

1については、「堯夫の易數甚だ精し。自來長暦を推す者、久しきに至りて必ず差(たが)えり。惟堯夫のみ然らず。一二の近事を指して、當面に驗(ため)す可し。明道云う、待ちて傳を某兄弟に與えんと要す。某兄弟那(なん)ぞ工夫を得ん。學ばんと要すれば、是れ二十年功夫を須(ま)たん、と。明道説を聞くこと甚だ熟せり。一日監試事無きに因りて、其の説を以て推して之を算して皆合えり。出でて堯夫に謂いて曰く、堯夫の數は只是れ加一倍の法のみ。此を以て太玄は都(すべ)て事を濟(な)さざるを知れり、と。…他日伊川明道に問いて曰く、加倍の數は如何、と。曰く、都て之を忘れり、と。」と読みました。

2は、「堯夫嘗て言う、能く物を物とすれば、則我爲物之人也。物を物とすること能わざれば、則我爲物之物也。亦不消如此。人は自ずから人、物は自ずから物、道理甚だ分明なり。」で、「則我爲物之人也」(人が物を支配するの意の様です。)「則我爲物之物也。(物が自分を支配するの意の様です。)亦不消如此。(そんなことを言う必要はないという意だそうです。)」が読めません。

3は、「康節は煞(まこと)に好き説話有れども、近思録には曾て取り入れず。」と読みました。

匿名 さんのコメント...

 こんばんは。難しい文章ですねぇ…。赤文字の部分だけですが、次のように読んでみました。
1.「當面に驗すべし」の文章は、「當面」は、辞書によりますと「面と向かって…する、じかに…する」とありますので、恐らく、卲康節の易の能力(超能力?)は、身近な物事について、その場で直ちに検証することができるほど優れたものであった、ということが言いたいのかしらん?
 「待要傳與某兄弟、某兄弟那得工夫」ですが、中国語の辞書では、「待要」二字で、「…しようとする。」という意味なんだそうです。江戸時代の先人はなんと訓読したのでしょうか?とりあえず「…と要するを待つ」(う~む、苦しい…)と読んでみています。 「與」は、前置詞で「~に」という意味だと思います。で、訓読としては「某兄弟に傳へんと要するを待つも、某兄弟那(なんぞorいずくにか)工夫を得ん。」(我ら兄弟に伝授しようとしても、我らはそんな時間ありゃしません)
ってな感じでしょうか(苦笑)「待要」、もっといい読みはないもんでしょうか…。
 「須」は、わたしの使用している『漢辞海』ですと、「必要だ」という意味の時は、「もちう」と読みを当てていますが、「まつ」でもよい気がします。
 それにしても、加一倍の法は、そんなに画期的なものだったんでしょうかねぇ。わたしは易がまったく理解できておらず、あの図の意味も、さっぱり分かりません(苦笑)

2.冒頭のところは、「能く物を物とすれば、則ち我物の人と為るなり。物を物とする能はざれば、則ち我物の物と爲るなり、と。」となると思います。
 「物を物とする」は、『荘子』が典拠の可能性濃厚です。中国のサイト「漢典」で調べたら、《庄子•在宥》:“有大物者,不可以物;物而不物,故能物物。” 成玄英 疏:“不为物用而用於物者也。”という用例が載っておりました!
 個人的には「物を(我見を加えず)物そのものとして扱うことができれば、われは物のなかにあっても、人としての主体性を維持できる。物を物として扱うことができなければ、物のなかに巻き込まれ、自分を維持できない。」みたいな意味で理解してみています。
 「不消」は、「もちいず」と訓読するみたいですねぇ、ヘンな読みですね。

3.「煞」は、一般的に「はなはだ」と読みますね。

ウソツキ恒ちゃん さんのコメント...

いつも投稿ありがとうございます。
「當面可驗」ですが、二三の事実を見れば簡単に堯夫の易が正確なことがわかるという意。そこでここの「驗」を「ためす」と読みましたが、「驗(し)る」とか「驗(み)る」とかとは読めないでしょうか?

加一倍の法ですが、それ以前に主流だった漢の揚雄が作った太玄経よりも簡単だったようです。易には理論的な面と占い的な面がありますが、私も占い的な面は一切信用していません。ただ、江戸期の儒学者などは結構占い的な面も信用していたみたいですが…
「煞」は、一般的に「はなはだ」とのこと。私の辞書には「はなはだ」がなくて「まことに」があったのでこれにしたのですが、私自身も他の箇所で「煞」を「はなはだ」と読んでいました。がっかり!
『中国語の辞書では、「待要」二字で、「…しようとする。」という意味なんだそうです。』とは、凄いですね。
ご指摘を参考にしてこれから修正します。

ウソツキ恒ちゃん さんのコメント...

やっぱり「當面可驗」の「驗」は音読みにして、「當面に驗す可し」にしようかと思います。

匿名 さんのコメント...

 一二の近事云々は、そういう意味なんですねぇ、ありがとうございます。「驗」は、「証明する、明らかにする」というような意味だと思いますが、ぴったりな訓が辞書に載っておりません。おっしゃる通り、やはり音読みで!
 加一倍の法が顕彰される背景には、太玄経との係わりがあったのですね、知らなかったです(汗)勉強になりますっ。『易』の理論はさっぱり分かりませんが、きっと、一生かけて理解していくものなんでしょうね。『論語』等も、本来そういうものなのでしょうね。