2010年6月26日土曜日

久し振りの質問=二程全書「銘詩」より


久し振りの質問です。『二程全書』「銘詩」の最初の文です。
赤線の「千載之上、顏惟(一作爲)孔學、百世之下、顏居孔作。」ですが、千載之上と百世之下、顏惟(一作爲)孔學と顏居孔作は対になっていると思うのです。そこで、顏惟(一作爲。)孔學と顏居孔作をどう読めばよいのか?がわかりません。
本の通りだと、「千載の上、顏惟孔學び、百世の下、顏居り孔作す。」
惟はどう読むのか?もしも惟が爲であれば、又どう読むのか?
惟と居、學と作とが対みたいになっているから、惟は動詞ではないのか?惟は「おもう」か?

1 件のコメント:

うそつき恒ちゃん さんのコメント...

投稿をいただき、わかりました!!

「千載之上、顏惟(一作爲)孔學、百世之下、顏居孔作。」の「孔學」は孔子の学で、「孔作」の孔は孔周翰を指すと考えれば読めるということですね!