久し振りの質問です。『二程全書』「銘詩」の最初の文です。
赤線の「千載之上、顏惟(一作爲)孔學、百世之下、顏居孔作。」ですが、千載之上と百世之下、顏惟(一作爲)孔學と顏居孔作は対になっていると思うのです。そこで、顏惟(一作爲。)孔學と顏居孔作をどう読めばよいのか?がわかりません。
本の通りだと、「千載の上、顏惟孔學び、百世の下、顏居り孔作す。」
惟はどう読むのか?もしも惟が爲であれば、又どう読むのか?
惟と居、學と作とが対みたいになっているから、惟は動詞ではないのか?惟は「おもう」か?
稲葉黙斎の講義録や関連資料にある、私にとっての難字・難文の質問箱です。どなたか是非読み方をお教え下さい。中には、わかったものもあります。それは問題として読んで下さい。
1 件のコメント:
投稿をいただき、わかりました!!
「千載之上、顏惟(一作爲)孔學、百世之下、顏居孔作。」の「孔學」は孔子の学で、「孔作」の孔は孔周翰を指すと考えれば読めるということですね!
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