2008年12月2日火曜日

久し振りの問題。今回は漢文です。

「聖人致公心、盡天地萬物之理、各當其分。佛氏總爲一己之私。是安得同乎。聖人循理。故平直而易行。異端造作、大小大費力、非自然也。故失之遠。」
出典は『程氏遺書』一四です。
特に「異端造作」の「造作」は返り点で行くか?直に読むか?と、「大小大費力」をどこで区切って読むか?というところでしょうか?
今、程明道を読んでいるので助言をお願いします。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 お久しぶりです!
 柏木様のお仕事ぶりにはいつも敬服致しております。日本の伝統文化や思想の見直しといったフレーズをよく耳にしますが、朱子学・儒学も江戸期の思想の一つとして、もっと注目され評価されてしかるべきかと存じます。
 さて、問題の個所ですが、以下のように読んでみました。 
「聖人の致(=至)公の心は、天地萬物の理を盡くして、各ゝ其の分に當たる。佛氏は總べて一己の私の爲にす。是れ安んぞ同じきを得んや。聖人は理に循ふ。故に平直にして行ひ易し。異端は造作し、大小大に力を費すも、自然に非ざるなり。故に之を失ふこと遠し。」
 『漢語大詞典』によりますと、「造作」は「製造」「偽造」「虚言」などの意味があり、また「大小大」は「こんなにも大きい、これほどの、それほどの」という意味がありまして、宋代の方言のようです。
 「異端はでっちあげて、こんなにも力を費やしているけれども、自然ではない。」というような訳になるかと。

ウソツキ恒ちゃん さんのコメント...

良南釣徒様;
素早いご解答、ありがとうございます。しかし、深夜に強いですね。
私は「聖人致公心」を「聖人は公心を致し」と読みました。
「異端は造作し、大小大に力を費すも」というのがいいですね。黙斎を語る会で、今度本を出す予定なので、程明道の一文はこの流れで行こうと思います。
今後とも宜しくお願いします。

匿名 さんのコメント...

 学生の時に少し古典を読んでいましたので、お題を出されると、ついつい読解したくなってしまうのです(笑)
 程明道について書かれるのですね。不勉強でなにも知りませんが、なかなか論理化しにくいタイプの思想という印象があります。大変かと思いますががんばって下さい。

ウソツキ恒ちゃん さんのコメント...

良南釣徒様;
応援、ありがとうございます。
今、程明道のところを書いています。明道は近思録で読んでいたつもりだったのですが、明道だけをじっくりと調べると、かなり朱子学とは違う部分があります。それは、たとえば「性即気」などです。『孟子』にある告子の「生之謂性」を認めているところはこれに通じたものの様です。彼は気一元論で、已発の話をしているだけで、未発の性と混同するのは間違いだと感じた次第です。やはり伊川が朱子の流れなのですね。
さてこんなわけで、これから当分は仮名文字の質問お休みとして、漢文の質問ばかりになろうかと思います。それも頻繁にはできませんが…。
また、宜しくお願いします。