中文出版社の『二程全書』と、里仁書局の『二程集』とでは、句読点の位置や語自体に相違がしばしばある。どちらが正しいのか?わからない。
最近悩んでいるのは「二程全書巻之三十九(外書第十二)」(里仁書局では「河南程氏外書巻第十二」)である。
そこには、里仁書局本には「二程之學、以聖人爲必可學而至、而己必欲學而至於聖人。」とある。
今まで読んでいた中で己という言葉をこの様に使うところがあっただろうか?
ここは「二程之學、以聖人爲必可學而至而已。必欲學而至於聖人。」の方がすんなりと読めるのではないだろうか?
それと、里仁書局本には「祐二年正月二十五日戊寅、内侍至資善傳旨、權罷講一日。二十七日庚辰、資善吏報馬宗道云、上前日微傷食物、曾取動藥。恐未能久坐、令講讀少進說。」とあるが、中文出版社本では動が勤となっている。こちらは食するの意から動の方がよいか?と思うのだが…。わからない。
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2010年1月14日木曜日
2010年1月1日金曜日
2009年10月7日水曜日
今日の質問。「恰限」とは?
今日は『二程全書』の十九から。
「禮記儒行・經解、全不是。因舉呂與叔解亦云、儒行夸大之語、非孔子之言。然亦不害義理。先生曰、煞害義理。恰限易、便只潔靜精微了却、詩、便只溫柔敦厚了却、皆不是也。」の恰限をいかに読むかです。わかりません!!
それ以外は以下の通り読みました。
「禮記の儒行・經解は、全く不是なり。因りて呂與叔の解を舉げて亦云う、儒行夸大の語、孔子の言に非ず。然れども亦義理を害せず、と。先生曰く、煞だ義理を害す。恰限易は、便ち只潔靜精微了却し、詩は、便ち只溫柔敦厚了却すとは、皆是ならず、と。」
「恰[あたか]も限って」などと読んでよいのだろうか?
「禮記儒行・經解、全不是。因舉呂與叔解亦云、儒行夸大之語、非孔子之言。然亦不害義理。先生曰、煞害義理。恰限易、便只潔靜精微了却、詩、便只溫柔敦厚了却、皆不是也。」の恰限をいかに読むかです。わかりません!!
それ以外は以下の通り読みました。
「禮記の儒行・經解は、全く不是なり。因りて呂與叔の解を舉げて亦云う、儒行夸大の語、孔子の言に非ず。然れども亦義理を害せず、と。先生曰く、煞だ義理を害す。恰限易は、便ち只潔靜精微了却し、詩は、便ち只溫柔敦厚了却すとは、皆是ならず、と。」
「恰[あたか]も限って」などと読んでよいのだろうか?
2009年9月26日土曜日
久しぶりの質問
今回も『二程全書18』から
問、老子書若何。曰、老子書、其言自不相入處、如冰炭。其初意欲談道之極玄妙處、後來却入做權詐者上去(如將欲取之必固與之之類。)。然老子之後有申・韓。看申・韓與老子道甚懸絕。然其原乃自老子來。蘇秦・張儀則更是取道遠。初秦・儀學於鬼谷。其術先揣摩其如何、然後捭闔、捭闔旣動、然後用鉤鉗、鉤其端然後鉗制之。其學旣成、辭鬼谷去。鬼谷試之、爲張儀說所動(如入菴中說令出之。)。然其學甚不近道、人不甚惑之。孟子時已有置而不足論也。
老子・申・韓・蘇秦・張儀に対する伊川の評価。ここの小注の「如入菴中說令出之」をどう読めばよいのかがわかりません。
句全体は以下のとおりに読みました。
「問う、老子が書は若何、と。曰く、老子が書は、其の言自づから相入れざる處、冰炭の如し。其の初意は道の極玄妙處を談ぜんと欲するも、後來却って權詐を做す者の上に入り去る(將に之を取らんと欲すれば必ず固より之を與うの類の如し。)。然も老子が後に申・韓有り。申・韓と老子とを看るに道甚だ懸絕せり。然れども其の原は乃ち老子自り來る。蘇秦・張儀は則ち更に是れ道を取ること遠し。初め秦・儀鬼谷に學べり。其の術先づ其れ如何と揣摩[しま]して、然して後に捭闔[はいこう]して、捭闔旣に動いて、然して後に鉤鉗[こうかん]を用いて、其の端を鉤して然して後に之を鉗制す。其の學旣に成りて、鬼谷を辭し去る。鬼谷之を試すに、張儀が說の爲に動かさる(如入菴中說令出之。)。然れども其の學甚だ道に近からず、人甚だしくは之に惑わず。孟子の時已に置いて論ずるに足らずとすること有り、と。」
鬼谷先生のもとを去る時に先生が張儀を試したのだが、かえって張儀の方が一枚上だった、ということなのではないだろうか?しかし、その様な出来事はどの本に載っているのだろう?「如入菴中說令出之」は、「菴中に入るに說いて之を出さしむが如し」などと読めるのだろうか?
問、老子書若何。曰、老子書、其言自不相入處、如冰炭。其初意欲談道之極玄妙處、後來却入做權詐者上去(如將欲取之必固與之之類。)。然老子之後有申・韓。看申・韓與老子道甚懸絕。然其原乃自老子來。蘇秦・張儀則更是取道遠。初秦・儀學於鬼谷。其術先揣摩其如何、然後捭闔、捭闔旣動、然後用鉤鉗、鉤其端然後鉗制之。其學旣成、辭鬼谷去。鬼谷試之、爲張儀說所動(如入菴中說令出之。)。然其學甚不近道、人不甚惑之。孟子時已有置而不足論也。
老子・申・韓・蘇秦・張儀に対する伊川の評価。ここの小注の「如入菴中說令出之」をどう読めばよいのかがわかりません。
句全体は以下のとおりに読みました。
「問う、老子が書は若何、と。曰く、老子が書は、其の言自づから相入れざる處、冰炭の如し。其の初意は道の極玄妙處を談ぜんと欲するも、後來却って權詐を做す者の上に入り去る(將に之を取らんと欲すれば必ず固より之を與うの類の如し。)。然も老子が後に申・韓有り。申・韓と老子とを看るに道甚だ懸絕せり。然れども其の原は乃ち老子自り來る。蘇秦・張儀は則ち更に是れ道を取ること遠し。初め秦・儀鬼谷に學べり。其の術先づ其れ如何と揣摩[しま]して、然して後に捭闔[はいこう]して、捭闔旣に動いて、然して後に鉤鉗[こうかん]を用いて、其の端を鉤して然して後に之を鉗制す。其の學旣に成りて、鬼谷を辭し去る。鬼谷之を試すに、張儀が說の爲に動かさる(如入菴中說令出之。)。然れども其の學甚だ道に近からず、人甚だしくは之に惑わず。孟子の時已に置いて論ずるに足らずとすること有り、と。」
鬼谷先生のもとを去る時に先生が張儀を試したのだが、かえって張儀の方が一枚上だった、ということなのではないだろうか?しかし、その様な出来事はどの本に載っているのだろう?「如入菴中說令出之」は、「菴中に入るに說いて之を出さしむが如し」などと読めるのだろうか?
2009年7月17日金曜日
今日の質問。写真付
2009年6月25日木曜日
2009年6月21日日曜日
今日の質問(写真付き)
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