今日も黙斎の『冬至文講義三講』からの質問。
一番左側の小注の読みです。
「信按朱子嘗議呂居仁見学者則商量見後生則教之詳見語類」です。
先ずはどこで区切るか?そしてどう読むかです。
「議」の下に「下」という点があるのが悩む原因の一つです。
区切りは
「信按朱子嘗議呂居仁見学者則商量、見後生則教之。詳見語類」でしょうか?
因みに、「信」は黙斎。「呂居仁」は呂東莱です。
私の読みはコメントに書きます。
*赤字のところですが、良南釣徒様にご助言をいただきました。
「呂居仁」は呂本中に訂正いたします。
稲葉黙斎の講義録や関連資料にある、私にとっての難字・難文の質問箱です。どなたか是非読み方をお教え下さい。中には、わかったものもあります。それは問題として読んで下さい。
5 件のコメント:
「信按ずるに、朱子嘗て呂居仁と学者を見れば則ち商量し、後生を見れば則ち之の教うを議す、と。詳らかに語類に見ゆ。」と読みましたが…。
ほとんど同じなんですが、「見る」を「まみゆ」で読んでみました。
「信按ずるに、朱子嘗て呂居仁、学者に見ゆれば則ち商量し、後生に見ゆれば則ち之を教ふるを議す。詳らかに語類に見ゆ。」
という感じでしょうか。
自分なりに「寒泉」で典拠を探してみたところ、多少、内容にズレがあるのですが、次のような文句が見つかりました。
『朱子語類』巻一百三十二「呂居仁家往往自□舉,他人家便是聖賢。其家法固好,然專恃此,以為道理只如此,卻不是。如某人纔見長上,便尊敬以求教;見年齒纔小,便要教他;多是如此。」人傑因曰:「此乃取其家法而欲施之於他人也。」(人傑)
「呂居仁の家の者はいつも自分たちを持ち上げて、彼らの家の者は聖賢だと思っている。その家法はもちろん良いものだが、もっぱらこれを恃み、これだけが道理だと思っているが、間違っている。例えば、ある人が年長者だと見るや、尊敬して教えを請い、若輩だと見るや、これを教えようとする。おおむねこのようなものだ。」人傑が言った。「これは自分の家法を他人に施そうとしているのでしょうね。」
どうも、批判している感じなんですねぇ。
ご助言、しかも、出典の朱子語類も訳まで添えて頂き、どうもありがとうございました。
「寒泉」はよいですね。私もチェックさせていただきました。ところで、「寒泉」では「呂居仁家往往自辧舉」となっていますが、先だって私が買った朱子語類には「呂居仁家往往自擡舉」とありました。良南釣徒さんの訳も「擡舉」で訳されていますね。
ところで、呂東莱は朱子の親友であり、近思録も彼との共著ではありますが、朱子は呂東莱に全幅の信頼を寄せていたわけではないようです。呂東莱は史学を重視した人だったか?まぁ、朱子のような理気論を探究するような人ではなかったようです。朱子は所々で彼を批判します。彼は朱子の親友でしたが、道統とは言えません。
呂東莱は、きっと哲学的思考の人ではなかったのでしょうね。だからこそ、陸象山とも朱子とも仲良くできなのでしょうね。
ところで、にわか勉強ですが、紛らわしいことに呂東莱というのは二人いるようです。一人が呂本中(字は居仁、大東莱)、もう一人が呂本中の孫・呂祖謙(字は伯恭、小東莱)で、朱子の講友の呂東莱の方です。
ここでは呂居仁なので、じいさんの方ですね。
「寒泉」の「舉」字の前の一字は、なぜかわたしのPCでは表示されません。なので、手持ちの本で確認して、「擡」で訳してみました。
ご指摘、ありがとうございます。
呂東莱というと、直ぐに呂祖謙が頭に浮かぶので、呂祖謙で書いてしまいました。実は呂本中だったのですね。
呂本中の方が呂祖謙よりも格上ですね。
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