今回も『二程全書18』から
問、老子書若何。曰、老子書、其言自不相入處、如冰炭。其初意欲談道之極玄妙處、後來却入做權詐者上去
(如將欲取之必固與之之類。)。然老子之後有申・韓。看申・韓與老子道甚懸絕。然其原乃自老子來。蘇秦・張儀則更是取道遠。初秦・儀學於鬼谷。其術先揣摩其如何、然後捭闔、捭闔旣動、然後用鉤鉗、鉤其端然後鉗制之。其學旣成、辭鬼谷去。鬼谷試之、爲張儀說所動
(如入菴中說令出之。)。然其學甚不近道、人不甚惑之。孟子時已有置而不足論也。
老子・申・韓・蘇秦・張儀に対する伊川の評価。ここの小注の「
如入菴中說令出之」をどう読めばよいのかがわかりません。
句全体は以下のとおりに読みました。
「問う、老子が書は若何、と。曰く、老子が書は、其の言自づから相入れざる處、冰炭の如し。其の初意は道の極玄妙處を談ぜんと欲するも、後來却って權詐を做す者の上に入り去る
(將に之を取らんと欲すれば必ず固より之を與うの類の如し。)。然も老子が後に申・韓有り。申・韓と老子とを看るに道甚だ懸絕せり。然れども其の原は乃ち老子自り來る。蘇秦・張儀は則ち更に是れ道を取ること遠し。初め秦・儀鬼谷に學べり。其の術先づ其れ如何と揣摩[しま]して、然して後に捭闔[はいこう]して、捭闔旣に動いて、然して後に鉤鉗[こうかん]を用いて、其の端を鉤して然して後に之を鉗制す。其の學旣に成りて、鬼谷を辭し去る。鬼谷之を試すに、張儀が說の爲に動かさる
(如入菴中說令出之。)。然れども其の學甚だ道に近からず、人甚だしくは之に惑わず。孟子の時已に置いて論ずるに足らずとすること有り、と。」
鬼谷先生のもとを去る時に先生が張儀を試したのだが、かえって張儀の方が一枚上だった、ということなのではないだろうか?しかし、その様な出来事はどの本に載っているのだろう?「
如入菴中說令出之」は、「菴中に入るに說いて之を出さしむが如し」などと読めるのだろうか?