2009年1月11日日曜日

今日の難問

「陰陽是氣、五行是質。有這質、所以做得物事出來。五行雖是質、他又有五行之氣做這物事方得。然卻是陰陽二氣截做這五箇、不是陰陽外別有五行。」
出典:『朱子語類』一

これは、「陰陽は気であり、五行は質である。この質があるから物を作り出せる。五行は質であるが、それには更に五行の気があって物を作ることが初めて可能なのである。しかし、陰陽二気が分かれてこの五つになるのであって、陰陽とは別個に五行があるのではない。」の意。これを読み下す段になると、特に赤文字部分が不安です。私なりの読み下しはコメントに載せました。

2009年1月2日金曜日

今年最初の質問

明けましておめでとうございます
今年最初の質問です。
「不傳の學を遺經に繼ぐ」の出典です。黙斎は程明道の語の様に言っていますが、どうも見あたらないのです。多分「繼不傳之學於(于)遺經」みたいな感じなんですが・・・
この言葉が何かいい感じなので、今度の本に載せたいのですが、出典が分からずに載せるのは憚れますので・・・

2008年12月26日金曜日

今日の質問

今日の質問も漢文の読み1問
熹舊見李先生時、説得無限道理、也曾去學禪。李先生云、汝恁地懸空理會得許多。而面前事、却有理會不得。道亦無玄妙。只在日用閒、著實做工夫處理會、便自見得。後來方曉得他説。故今日不至無理會耳。 出典は『延平答問補録』

朱子學大系では「熹舊(もと)李先生に見(まみ)えし時、無限の道理を説き得、也(また)曾て禪を學び去る。李先生云う、汝恁地(かくのごとく)に懸空に理會し得ること許多なり。而れども面前の事、却って理會し得ざること有らん。道も亦玄妙無し。只日用の閒、實を著けて工夫を做(な)す處に在りて理會せば、便ち自ずから見得ん、と。後來方(まさ)に他の説を曉(さと)り得。故に今日理會すること無きに至らざるのみ。」と読んでいます。

ここでわからないのは、「也曾去學禪」の「去」です。
書き出しの文意は、昔朱子が李延平先生に会った時に、朱子が博識を説き、また禅学を学んでいることを話したということではないでしょうか?それを李延平がたしなめたということだと思います。「去」は「去る」なのですかねぇ?

2008年12月22日月曜日

久し振りの質問 3問

久し振りに質問をしますので、3問出します。

1.堯夫易數甚精。自來推長暦者、至久必差。惟堯夫不然。指一二近事、當面可驗。明道云、待要傳與某兄弟。某兄弟那得工夫。要學、須是二十年功夫。明道聞説甚熟。一日因監試無事、以其説推算之皆合。出謂堯夫曰、堯夫之數只是加一倍法。以此知太玄都不濟事。…他日伊川問明道曰、加倍之數如何。曰、都忘之矣。
出典は『程氏外書』12。

2.堯夫嘗言、能物物、則我爲物之人也。不能物物、則我爲物之物也。亦不消如此。人自人、物自物、道理甚分明。
出典は『程氏遺書』1。

3.康節煞有好説話、近思録不曾取入。
出典は『朱子語類』100。

今回は?今回もですが、自信はないのでコメントの中で自分の読みなどを書きます。

2008年12月15日月曜日

今日は本の質問

今日は難字・難文の質問ではありません。
どなたか、韓愈の『原性』の載っている本を知りませんか?

2008年12月14日日曜日

今日の難文

問、孝弟爲仁之本、此是由孝弟可以至仁否。曰、非。謂行仁自孝弟始。蓋孝弟是仁一事。謂之行仁之本、則可。謂之是仁之本、則不可。蓋仁是性也。孝弟是用也。性中只有仁義禮智四者。幾曾有孝弟來。仁主於愛。愛莫大於愛親。故曰、孝弟也者、其爲仁之本歟。
出典;『程氏遺書』一八。

問題は、「幾曾有孝弟來」の「幾曾」です。「幾」は豈と同じ?「曾」はそのままかつてでよいか?「幾曾て孝弟有りて來らんや」か?「幾曾て孝弟來ること有らんや」か?

そろそろ程伊川を終えようとしている。次は張横渠である。

2008年12月13日土曜日

今日の質問

ここのところの質問の多くをお陰様で解決することができましたが、自分の漢文レベルの低さを痛感した次第です。尤も、中学校や高校?での漢文しか習ってこなかったから仕方がないかもなどと言うのは言訳です。
そこで、少し簡単な質問です。

至於不能順其情、而悖天理、則流而至於惡。(出典は『程氏遺書』22上)

青線部分の読み方です。
1.其の情に順うこと能わずして、天理に悖るに至れば、則ち流れて惡に至る。
2.其の情に順うこと能わざるに至りて、天理に悖らば、則ち流れて惡に至る。
どちらなのかわからんのです。

前後の文は以下の通り。
棣問、孔孟言性不同如何。曰、孟子言性之善、是性之本、孔子言性相近、謂其稟受處不相遠也。人性皆善。所以善者、於四端之情可見。故孟子曰、是豈人之情也哉。至於不能順其情、而悖天理、則流而至於惡。故曰、乃若其情、則可以爲善矣。若、順也。